
競馬を支える企業と組織、その歴史を知る
日本の競馬は、1862年に横浜で行われた競馬を起点として、160年以上にわたって発展してきた。現在はJRAが主催する中央競馬と、地方自治体などが主催する地方競馬に大きく分かれているが、その舞台裏には競馬を主催する組織だけでなく、競馬場の施設を運営する企業やインターネット投票を支える企業など、さまざまなプレーヤーが存在する。
今回取り上げるJRA、日本中央競馬会は中央競馬そのものを運営する特殊法人であり、東京都競馬は大井競馬場や地方競馬のインターネット投票サービス「SPAT4」などを支える上場企業だ。また、よみうりランドも川崎競馬場や船橋競馬場との長い関係を持ち、競馬場という「舞台」を支えてきた。競馬という巨大なエンターテインメントを理解するには、レースや競走馬だけでなく、こうした運営主体や関連企業にも目を向ける必要がある。競馬の歴史をたどりながら、それぞれがどのような役割を担ってきたのかを見ていきたい。
| 名称 | 区分 | 上場 | 証券コード | 競馬との関わり | 主な競馬関連施設・事業 | 開催する競馬 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 東京都競馬 | 株式会社 | 東証プライム | 9672 | 競馬場・投票システムの施設提供 | 大井競馬場、地方競馬インターネット投票システム「SPAT4」など | 地方競馬(大井競馬) |
| よみうりランド | 株式会社 | ※2021年上場廃止 | ― | 競馬場の施設運営 | 川崎競馬場、船橋競馬場 | 地方競馬(南関東) |
| JRA(日本中央競馬会) | 特殊法人 | 非上場 | ― | 中央競馬を直接実施 | 全国10競馬場、ウインズ、競馬学校、トレーニングセンターなど | 中央競馬 |
日本の競馬は誰が運営してきた? 外国人居留地の競馬からJRAまで、160年超の歴史を振り返る
日本の競馬は、現在では「JRA=中央競馬」というイメージが強いものの、最初から日本中央競馬会が運営していたわけではない。外国人居留地で始まった競馬は、民間の競馬倶楽部、国、そして現在のJRAへと運営主体を変えながら発展してきた。さらに現在の日本では、JRAが主催する中央競馬とは別に、地方自治体などが主催する地方競馬も存在する。競馬の歴史をたどることは、日本の競馬を誰が、どのような目的で運営してきたのかを知ることでもある。
日本の近代競馬の始まりは、1862年、横浜の居留地で行われた競馬とされている。当時は外国人居留民を中心としたもので、現在のような日本全国を統一した競馬制度があったわけではない。横浜では同年に日本最初の競馬倶楽部も設立され、その後、外国人居留地などを中心に競馬が広がっていった。つまり日本の近代競馬は、政府が全国的な制度としてスタートさせたものではなく、外国人を中心とする民間の競馬文化から始まったのである。
明治時代になると、競馬は徐々に日本人社会にも浸透していく。1905年には横浜の日本レースクラブが明治天皇から賞品を下賜されたことをきっかけに「エンペラーズカップ」が創設された。これが現在の天皇賞のルーツである。その後、東京、阪神、福島、札幌、函館、小倉などにも同様の「帝室御賞典競走」が広がった。現在の競馬ファンにはおなじみの天皇賞も、その源流をたどれば明治期の競馬に行き着く。
一方、競馬が盛んになるにつれて、馬券をめぐる問題も大きくなった。日本人による馬券発売は政府の黙許という形で1906年に始まったが、競馬倶楽部が各地に乱立し、競馬熱が過度に高まったことから弊害も指摘されるようになった。1908年には政府が馬券発売を禁止。その後の競馬は政府の補助金などに支えられながら存続することになった。ここから、競馬を単なる娯楽ではなく、馬産振興や軍事面を含めた「馬の能力向上」に結びつけて制度化しようとする動きが強まっていく。
転機となったのが1923年の旧競馬法である。同法によって法律に基づく競馬と馬券発売が認められ、競馬は公的な制度の下で運営されるようになった。1924年には札幌、函館、福島、新潟、松戸、東京、横浜、京都、阪神、小倉、宮崎の11競馬倶楽部に整理・統合された。それまで各地で独自に行われていた競馬が、法律によって一定のルールの下に置かれるようになったのである。
さらに1936年の法改正を経て、全国の競馬倶楽部を統合する「日本競馬会」の設立が決まり、1937年に各競馬倶楽部が統合された。ここで現在の中央競馬につながる全国的な運営体制が整えられた。調教師と騎手の制度も整理され、競馬の公正な運営や競走馬の管理などが制度化されていった。天皇賞の前身である帝室御賞典競走も、この日本競馬会への統合を機に、春は阪神、秋は東京で行われる現在につながる形へと整理された。
しかし、第二次世界大戦によって競馬は大きな影響を受ける。戦時中には競馬の開催が制限され、戦後には日本競馬会そのものの存続が問題となった。1948年には新たな競馬法が制定され、日本競馬会は解散。そこから1954年までの約6年間は「国営競馬」の時代となった。つまり、この時期の中央競馬は文字通り国が主催する競馬だったのである。
そして1954年9月16日、日本中央競馬会法が施行され、日本中央競馬会、現在のJRAが設立された。JRAは国営競馬を引き継ぐ特殊法人として発足し、初代理事長には安田伊左衛門が就任した。ここから現在まで、中央競馬はJRAによって運営されている。JRAの設立時から、競馬の売得金の一部を畜産振興や社会福祉事業に充てる仕組みも設けられた。
その後、中央競馬は大きく発展していく。競馬場の整備、自動発売機、電話投票、インターネットを利用した投票サービスなどが導入され、競馬は競馬場に足を運ぶだけの娯楽ではなくなった。1980年代以降には競走馬の海外遠征も増え、日本馬が海外の大レースで活躍する機会も拡大。1990年代から2000年代にかけては、ナリタブライアン、ディープインパクト、ウオッカなど、多くの名馬が競馬人気を支えた。JRAの歴史を見ても、電話投票やインターネット投票など、時代に合わせて競馬の楽しみ方が変化してきたことが分かる。
ここで重要なのは、日本の競馬がすべてJRAによって運営されているわけではないという点だ。現在の日本には「中央競馬」と「地方競馬」という大きく2つの体系がある。JRAが主催するのが中央競馬で、地方競馬は都道府県や市町村などの地方公共団体、あるいは地方公共団体が構成する一部事務組合などが主催する。大井競馬、川崎競馬、船橋競馬、浦和競馬などが地方競馬に当たる。
そのため、現在の競馬産業を考える際には、JRAだけでなく、地方競馬の主催者や競馬場の運営会社、インターネット投票サービスなど、複数の主体が関わっている。例えば東京都競馬は大井競馬場や地方競馬のインターネット投票「SPAT4」など、競馬に直接関わる事業を展開する上場企業として知られている。一方、よみうりランドも川崎競馬場や船橋競馬場の施設運営に関わってきた企業である。
1862年の横浜から始まった日本の近代競馬は、外国人居留地の競馬、各地の競馬倶楽部、旧競馬法による制度化、日本競馬会、戦後の国営競馬を経て、1954年にJRAへと引き継がれた。そして現在は、中央競馬と地方競馬がそれぞれ異なる仕組みで運営されている。競馬場で走る馬や騎手だけに注目すると見えにくいが、その背後には160年以上にわたって運営主体や法律、馬券制度、競馬場、投票システムが変化してきた歴史がある。現在のJRAや地方競馬、そして競馬関連の上場企業を理解するうえでも、この「誰が競馬を運営してきたのか」という視点は欠かせない。
よみうりランドと競馬の深い関係とは? 川崎・船橋競馬場を支える遊園地企業の歴史
遊園地として知られる「よみうりランド」と競馬。一見すると関係が薄いように感じられるが、実はよみうりランドは長年にわたって地方競馬を支えてきた企業の一つである。現在は非上場企業となっているものの、かつては東京証券取引所に上場しており、競馬場の施設運営という事業を手掛けてきた。特に川崎競馬場と船橋競馬場との関係は深く、競馬の歴史を振り返ると、よみうりランドが遊園地だけの会社ではないことが分かる。
よみうりランドの歴史をたどると、競馬との接点は会社設立以前にまでさかのぼる。1949年、川崎市で「川崎競馬倶楽部」が設立され、同年には川崎競馬場が開設された。続いて千葉県船橋市でも競馬場の整備が進み、1950年には船橋競馬場が開設された。これらの競馬場の施設運営に関わってきたのが、現在のよみうりランドにつながる企業である。
よみうりランドは1950年9月に「株式会社川崎競馬倶楽部」として設立され、その後、商号変更などを経て現在の「株式会社よみうりランド」となった。つまり、同社のルーツは遊園地ではなく、競馬場の運営に深く関わる事業にあった。会社の歴史を見ると、競馬事業とレジャー事業を組み合わせながら事業領域を拡大してきたことが分かる。
現在のよみうりランドは、遊園地「よみうりランド」を中心としたレジャー企業というイメージが強い。東京都稲城市と神奈川県川崎市にまたがる場所に施設を展開し、遊園地のほか、温浴施設、フラワーパーク、ゴルフ練習場など、多様なレジャー事業を手掛けている。しかし、競馬場に関する事業も同社の重要な歴史的基盤の一つである。
川崎競馬場は、神奈川県川崎市に位置する地方競馬場だ。競馬の主催者は神奈川県川崎市などで構成される「神奈川県川崎競馬組合」であり、よみうりランドが競馬そのものを主催しているわけではない。ここはJRAとの違いを考えるうえでも重要なポイントである。JRAは中央競馬の主催者だが、地方競馬では地方公共団体などが主催者となり、競馬場の施設を別の企業が運営・提供するケースがある。
よみうりランドは川崎競馬場について、施設の所有・賃貸などを通じて競馬開催を支えてきた。また、千葉県船橋市の船橋競馬場についても、競馬開催のための施設を提供している。つまり、よみうりランドの競馬事業は「馬券を販売して競馬を主催する」というものではなく、競馬が開催されるための土地や施設を提供する、いわばインフラ型のビジネスと位置付けることができる。
この構造は、競馬場を中心としたビジネスを考えるうえで興味深い。競馬の売上はレース結果や競走馬の人気などによって変動するが、競馬場の施設を所有・運営する企業にとっては、競馬開催そのものを主催しなくても、施設の利用によって収益を得ることができる。さらに、競馬場という大型施設は立地や土地利用との関係も深く、競馬だけでなく、イベントや飲食、地域との連携など、複合的な活用が可能になる。
船橋競馬場も、よみうりランドと競馬の関係を語るうえで欠かせない存在だ。船橋競馬場は南関東競馬に属し、川崎、大井、浦和とともに「南関東4競馬場」を構成している。南関東の地方競馬は全国の地方競馬の中でも大きな市場を形成しており、船橋競馬場では重賞競走なども数多く行われている。よみうりランドはこうした競馬場の施設運営を通じて、地方競馬のインフラを支えてきた。
一方、よみうりランド自身の事業は競馬だけにとどまらない。1950年代以降、レジャー施設や遊園地などの事業を拡大し、現在では「よみうりランド遊園地」を中心に幅広いエンターテインメント事業を展開している。遊園地、温浴施設、ゴルフ関連施設などを組み合わせることで、「一日を楽しめる場所」を提供する総合レジャー企業へと変化してきた。競馬場事業とレジャー事業という、一見異なるように見える2つの分野が、同社の長い歴史の中では並行して存在してきたのである。
そして、現在のよみうりランドを考えるうえで重要なのが、読売グループとの関係だ。よみうりランドは読売新聞グループ本社と資本関係を持ち、読売グループのレジャー分野を担う企業として位置付けられてきた。2025年には株式交換によって読売新聞グループ本社の完全子会社となり、東京証券取引所への上場を廃止した。これにより、現在は「競馬関連の上場企業」という分類からは外れることになる。
それでも、よみうりランドと競馬の関係がなくなったわけではない。会社の歴史を見れば、競馬場の運営・施設提供は同社のルーツの一つであり、現在も川崎競馬場や船橋競馬場との関係が続いている。競馬場という巨大な施設を支える一方で、遊園地や温浴施設などのレジャー事業を展開するという独自の事業構造は、同社の大きな特徴だ。
競馬業界を投資という視点から見る場合、JRAのように競馬を主催する組織だけを見れば全体像を把握できるわけではない。地方競馬では、主催者、競馬場の施設運営会社、インターネット投票サービス、競走馬の生産・育成会社など、多くの企業や組織が関わっている。よみうりランドはその中で、競馬場という「舞台」を支える存在だ。
現在は上場廃止となったよみうりランドだが、競馬との関係をたどると、日本の地方競馬がどのような仕組みで運営されてきたのかが見えてくる。川崎競馬場と船橋競馬場という2つの地方競馬場を支えてきた歴史は、同社が単なる遊園地運営会社ではなく、長年にわたって公営競技とレジャーの両方に携わってきた企業であることを示している。遊園地で知られる企業の意外なルーツとして、そして日本の競馬を陰で支える施設運営企業の一例として、よみうりランドと競馬の関係は知っておきたいテーマといえるだろう。
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JRAと競馬の歴史とは? 国営競馬を引き継ぎ、中央競馬を運営する日本中央競馬会
日本の競馬を語るうえで欠かせない存在が、JRAこと日本中央競馬会だ。競馬ファンにとっては東京競馬場や中山競馬場、京都競馬場、阪神競馬場などで行われる中央競馬の主催者として知られている。しかし、JRAは一般的な株式会社とは異なり、政府が全額出資する特殊法人である。競馬法と日本中央競馬会法に基づいて設立され、農林水産省の監督を受けながら中央競馬を運営している。現在の競馬を理解するには、「JRAは誰なのか」「なぜ国が関係しているのか」を知ることが重要になる。
日本の近代競馬は1862年、横浜の外国人居留地で行われた競馬などを起源として発展してきた。当初は現在のような全国統一の競馬制度が存在したわけではなく、各地の競馬倶楽部などが競馬を開催していた。その後、競馬を制度として整備する動きが進み、1937年には各地の競馬倶楽部を統合して「日本競馬会」が設立された。ここで、現在の中央競馬につながる全国的な運営体制が形成されていった。
戦後になると、競馬をめぐる運営体制はさらに大きく変わる。1948年には競馬法が制定され、日本競馬会は「国営競馬」という形で国が競馬を主催する仕組みに移行した。つまり、現在のJRAにつながる中央競馬は、一時期、文字通り国が運営していたのである。その後、1954年に日本中央競馬会法が公布され、同年9月16日に日本中央競馬会が設立された。JRAはこの国営競馬を引き継ぐ組織として誕生した。初代理事長には安田伊左衛門が就任している。
JRAの設立には、単に国が競馬を民営化したという以上の意味がある。日本中央競馬会法では、JRAは中央競馬を行うことによって競馬の健全な発展を図り、馬の改良増殖などを通じて畜産振興に寄与することが目的として定められている。つまり、JRAの役割は競馬という娯楽を提供するだけではない。競走馬の生産や育成、馬事産業などを含めた「馬」に関わる産業全体を支える役割も持っているのである。
JRAが一般の株式会社と大きく異なるのは、その資本関係にも表れている。JRAの資本金は約49億2412万円で、その全額を政府が出資している。したがって、東京証券取引所に上場している企業ではない。JRAは株式会社ではなく、法律によって設立された特殊法人なのである。また、農林水産大臣が主務大臣となっており、予算や事業計画などについても法律上の監督・認可の仕組みが設けられている。
では、JRAは具体的にどのような仕事をしているのだろうか。まず中心となるのが中央競馬の開催だ。2025事業年度には、全国10競馬場で36回、合計288日間の競馬を開催した。年間の勝馬投票券の売得金は3兆5,178億円を超え、開催競馬場への入場人員は約523万人となっている。東京競馬場、中山競馬場、京都競馬場、阪神競馬場などで開催されるGⅠレースをはじめ、年間を通じて数多くの競走が実施されている。
JRAの業務は競馬開催だけではない。馬主の登録、競走馬の登録、調教師や騎手の免許などもJRAの重要な仕事だ。さらに、レースの公正確保も大きな役割となっている。競走馬の馬体検査、騎手の計量、競走中の監視、禁止薬物の検査などを実施し、競馬が公平なルールの下で行われるための仕組みを整えている。競馬は巨額の馬券が動く公営競技だけに、レースの公正性を維持することはJRAの根幹ともいえる。
そして、JRAの大きな特徴として忘れてはいけないのが、馬券の売上が国の財政にもつながっている点だ。JRAは勝馬投票券の売上の一部を「国庫納付金」として国に納めている。さらに、事業年度に利益が生じた場合、その利益の2分の1を国庫に納付する仕組みもある。2025事業年度には、第1国庫納付金が約3518億円、第2国庫納付金が約321億円となった。国庫納付金は一般財源に繰り入れられ、畜産振興や社会福祉などに活用されている。
JRAの歴史を振り返ると、競馬の楽しみ方も大きく変化してきた。1956年には現在の有馬記念につながる「中山グランプリ」が創設され、1969年には栗東トレーニング・センターが開場。1976年には電話投票制度が始まり、1978年には美浦トレーニング・センターが開場した。1981年には国際競走のジャパンカップが創設され、日本競馬の国際化も進んだ。さらに現在ではインターネット投票やキャッシュレス投票などが普及し、競馬場へ行かなくても中央競馬を楽しめる環境が整備されている。
競走馬のレベルも大きく向上してきた。日本馬は海外競走への遠征を重ね、1981年に創設されたジャパンカップは海外の強豪馬を日本に招く国際競走として定着した。JRAの70年の歴史は、競馬場や馬券販売の進化だけでなく、日本の競走馬や騎手が世界へ挑戦してきた歴史でもある。
一方、日本の競馬はすべてJRAが運営しているわけではない。日本には「中央競馬」と「地方競馬」があり、JRAが主催するのは中央競馬である。地方競馬については、都道府県や指定市町村などが競馬を実施することが競馬法で定められている。大井競馬、川崎競馬、船橋競馬、浦和競馬などは地方競馬に分類される。そのため、東京都競馬のように地方競馬場の施設や投票システムを支える上場企業と、中央競馬を主催するJRAでは、競馬との関わり方が異なる。
現在のJRAは、1954年の設立から70年以上にわたって中央競馬を運営してきた。株式会社ではないため株式投資の対象にはならないが、日本の競馬産業を理解するうえでは最も重要な組織の一つだ。競馬場を運営し、競走馬や騎手を管理し、馬券を販売し、レースの公正性を確保する。そして、その売上の一部を国庫に納め、畜産振興などにも資金を還元する。JRAは単なる「競馬の主催者」ではなく、競馬を中心とした巨大な制度と産業を支える存在なのである。
競馬を投資テーマとして見る場合も、JRAそのものに投資することはできない。しかし、JRAを中心に、競馬場の施設運営、インターネット投票、競走馬の生産・育成、競馬ゲームやメディアなど周辺産業にはさまざまな企業が存在する。JRAの歴史を知ることは、こうした競馬関連企業の事業構造を理解するための出発点にもなる。日本の競馬は、外国人居留地での競馬から始まり、競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬を経て、現在のJRAへと受け継がれてきた。70年以上にわたって中央競馬を運営してきたJRAは、まさに日本競馬の歴史そのものを体現する組織といえるだろう。
まとめ:競馬の発展を支える多様な運営主体
日本の競馬は、外国人居留地で始まった近代競馬から、競馬倶楽部、日本競馬会、戦後の国営競馬を経て、現在の中央競馬と地方競馬へと発展してきた。その中心に位置するのがJRAであり、全国10競馬場で中央競馬を開催するだけでなく、競走馬や騎手の登録、公正なレースの実施、競馬関連産業の振興など幅広い役割を担っている。一方、地方競馬では自治体などが主催者となり、競馬場の施設運営などを民間企業が支えるケースもある。
東京都競馬は大井競馬場やSPAT4を通じて地方競馬を支える代表的な上場企業であり、よみうりランドも川崎競馬場や船橋競馬場との歴史的なつながりを持つ。3者を比較すると、JRAは「競馬を主催する組織」、東京都競馬やよみうりランドは「競馬を開催する舞台やインフラを支える企業」という違いが見えてくる。
競馬は競走馬、騎手、馬券だけで成り立っているわけではない。競馬場、投票システム、施設、レジャー、さらには競走馬の生産・育成まで、多くの企業や組織が関わる巨大な産業である。競馬の歴史と運営主体を知ることで、普段何気なく見ているレースの裏側にあるビジネスの仕組みや、競馬と上場企業との意外な接点も見えてくるだろう。




